感情をクーピー程度の色数しか持ってないなら新しい色作れればいいね、新しいの買うのもアリだし
中学3年生まで生きていて、"寂しい"っていう感情が沸くことは一度もなかった。
"寂しい"に似たような感情を持つことはあったけど、
"寂しい"と言い表すにはなんだかもっとちがうような、もっと繊細でいろんな気持ちがごちゃごちゃしてる一言では言い表せないような気持ちばかりをずっと持っていた。
中学3年生のときに、
これらの今までの感情はもしかしたら全部"寂しい"なのでは??
と思って、その繊細な気持ちを全部"寂しい"に集約した。
そう、まるでヘレンケラーが今まで水を手のひらに書かれた言葉で"water"としか知らなかったのに、本物のwaterに触れて
"wateeeeeeeeer!!!!!!"
と感激したかどうかは知らないが、
そういう感じで私の中で今まで"寂しい"を言葉としてしか認識してなかったのに、
「これは"寂しい"だ!!!!!」
と、寂しいという感情にはかなり意識的に触れた。
忘れはしない、
洗面所の鏡の前で私の"寂しい"は誕生した。
それからというものの、"寂しい"と思うことが一度もなかった私は、かなり頻繁に寂しくなった。
今まで"寂しい"には集約していなかった感情を全部"寂しい"にまとめてしまったからだと思う。
私の寂しさ以外の大切な繊細な感情はなんとなく消失してしまった気持ちになって、薄っぺらい人間になった気分だったよ。
だからやっぱりやめたんだよな、寂しいって感じるの。寂しい以外の別の感情として、湧き上がる気持ちに名前はつけないことにした。
人の孤独な感情はもっと繊細だし。
青っぽいすべての色を青色としか思えないのは生きやすいけど。
生き方としては、なんかちょっとやらないしやれないっぽいわたし。